CEREMONY法要・行事

浄土真宗の教えとは

浄土真宗の教えとは、浄土をよりどころとする教えです。
浄土とは、真実そのもの(仏の世界)のことです。
私たちは生まれた瞬間から老・病・死の身であり、縁がもよおせば、どんなことでもしてしまう存在です。

このような身の事実に心から目覚めてほしいという呼びかけが「南無阿弥陀仏」であり、その呼びかけに応えて念仏を称えれば、みな・おなじく・ひとしく、浄土に生まれることができると説いたのが親鸞聖人です。

浄土真宗の教章(私の歩む道)

宗旨
浄土真宗
宗派
真宗大谷派
本山
真宗本廟(東本願寺)
ご本尊
阿弥陀如来
宗祖
親鸞聖人

親鸞聖人(しんらんしょうにん)

9歳で出家得度し、比叡山にて修行。
修行に努めるも、さとりを得られない自身に苦悩します。
29歳の時、京都六角堂にて、観音菩薩より夢告を受け、比叡山を下りて法然上人のもとへ行き、念仏のおしえに帰依します。
35歳に専修念仏禁止の院宣により、師法然上人は土佐・親鸞聖人は越後へ流罪になりました。越後での生活中に法然上人はお亡くなりになり、師との再会は果たせませんでした。
その後、越後・関東の地で、法然上人より受け継いだ念仏のおしえを広めます。
60歳を過ぎてから京に戻り、主著『教行信証』、『和讃』等、念仏のおしえを伝えるために、数多くの著作を執筆しました。その間も、関東の門弟の動揺・息子善鸞の義絶など、心揺さぶられる出来事に直面します。
1262年11月28日、90歳で入滅しました。

親鸞聖人のご生涯は、苦悩が尽きることがありませんでした。そのような生涯を生き抜かれたのは、法然上人との出遇いを通して、阿弥陀如来に出遇われたからです。
親鸞聖人は、阿弥陀如来に出遇えたことに感動された方であり、その感動をみんなに伝えたいと情熱を持って生き抜かれた方です。聖人が出遇われた、私を生かすいのちに触れてみましょう。

浄土真宗の生活

礼拝(らいはい)
私が仏さまに願いをかけるのとは逆に、仏さまが私に願いをかけてくださっている。日々お念仏と共にその願いに触れて生きる。それが「礼拝」という私たち真宗門徒の生活の実践です。
聞法(もんぽう)
人生を根底で支える言葉がある。それに出会われた方の人生や言葉に、自身を教わりながら人生を歩む。それが「聞法」という私たち真宗門徒の生活の実践です。
正信(しょうしん)
迷信が気になる自分をまず見つめ、迷信にしばられない本当の意味での自由を。それが「正信」という私たち真宗門徒の生活実践です。

経典

仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)
私たちがお念仏によって生きる歓びを見出す、その根拠が述べられた浄土真宗の根本のお経(きょう)です。生きる歓びとは、「生きとし生いけるもの、すべてと共感し合う世界」をいただくことです。
仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)
「王舎城の悲劇」という歴史事実の中に、念仏によって絶望から立ち上がった女性の姿が具体的に説かれたお経です。
仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)
私たちは、この世界の中で「浄土」をいただきます。それは「浄土を感じる」ことです。その浄土の姿が、このお経には述べられています。

主な書物など

教行信証(きょうぎょうしんしょう)
親鸞聖人が著わされた浄土真宗の根本聖典(こんぽんせいてん)。お釈迦様からご自身にまで伝ってきたお念仏の由来を明かし、苦しみ深い人間が救われていく原理が述べられています。
歎異抄(たんにしょう)
聖人の珠玉の言葉を集めたものです。親鸞聖人のお弟子の唯円房(ゆいえんぼう)によって著わされました。聖人の死後、お弟子たちが勝手に聖人の教えをゆがめて言いふらすようになったので、お念仏の同朋(どうぼう)たちに混乱が起こりました。唯円房はそれを歎(なげ)いて、「親鸞聖人の言葉に帰れ!」との願いから、この歎異抄を著わしたのです。浄土真宗の書物では最もポピュラーであり、現代においても高く評価されています。
御文(おふみ)
親鸞聖人がなくなってから200年後、本願寺の蓮如上人が全国各地の文字の読めないご門徒のために、真宗の教えをわかりやすく書いた手紙(御文)を送りました。地域の代表者は大勢の前でそれを読み上げたのです。御文は読むことを念頭にして書かれた文章と言われています。その影響力は絶大で、本願寺を日本最大の教団に育てました。文書伝道や広報のさきがけと言えるでしょう。日本にやってきたイエズス会の神父たちもこれに影響を受け、日本の信者向けに「どちりいなきりしたん」という平易な説教集を編纂したそうです。